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(1)日牟礼八幡宮・・・日牟礼八幡宮は,平安時代の創建であり,1000年以上の歴史のある神社で,2大火祭り(左義長祭り<3月>,八幡祭り<5月>)の奉納される神社として有名です。また,古くから近江商人の厚い信仰を集めてきました。
御祭神は,@誉田別尊(ほむだわけのみこと)<第15代応神天皇>,A息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)<神功皇后,=応神天皇の母)>,B比売神(ひめがみ) です。
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日牟礼八幡宮の鳥居 |
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境内(ここに多数の左義長が集結,最後に左義長に点火されます) |
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楼門 |
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楼門の左右には,通常なら恐い顔の仁王像が有るはず(?)ですが,ここには優しい顔の「木造神座像」(鎌倉時代作)が左右1対あります。 |
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楼門は左甚五郎の作で,屋根下4隅には,猿の彫り物が置いてあります。そのため,この門をくぐるだけで,「災難がサル(去る)」,「厄がサル(去る)」といって,非常に縁起が良いとされています。 |
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江戸初期に20歳で安南(ベトナム)に渡り,海外貿易で活躍した西村太郎右衛門が寄進した「安南渡海船額」。1635年の鎖国令のため日本に入れず,国外で没しました。)<国指定重要文化財> |
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拝殿:鎌倉時代初期に源頼朝が,近江の守護職である佐々木六角に命じて建立させたと有ります。 |
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本殿:御神体を祀る建物で数回の改築がなされています。慶長5年(1600年)に徳川家康も参拝しています。 |
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(2)左義長祭り・・・左義長とは新「わら」で作った高さ約3mの三角すいの松明(たいまつ)の上に竹を数本立て,赤い色紙や薬玉,巾着,扇などで飾り,さらに中心部には特徴ある「だし」を取り付けたものです。この「だし」は各町会毎に,その年の干支にちなんだものを,工夫してとりつけますが,すべて海産物や穀物等の食べ物で作るところに特徴があります。今年の「だし」の数は13基でした。 なお,(だいぶ少なくなったそうですが)女装して「だし」をかつぐというのも,奇祭といわれるゆえんです。
<各種「だし」の説明書より抜粋>
だしの外観 |
命題 |
材料(食物)
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説明 |
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若猿老梅 |
梅干し,ガム,
麻,するめ,
共白髪,
ナタネ,
ふ菓子,
とうもろこし,
桜えび,ゆば,
はるさめ,
しいたけ |
古くから若き猿は陸の強者であり,老いた猿は賢者の象徴とされてきました。また,梅は寒冷の季節に百花に先駆けて春を告げる花として,人の心を癒し安らぎを与える花の代表として愛好されてきました。
若い猿が安堵の表情で梅の大木に腰をおろし,遠くを見つめる姿は,強く賢く生きる人々が何を争うこともなく心豊かに安心して,この世を生きている姿を表しています。
誰もが望む平和,安定,心豊かな生活が一刻も早く訪れる事を祈願して奉納します。 |
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立身出世 |
西洋ススキ(パンパス),プルーン,ピーナッツ,干し芋,梅干し,里芋,パールタピオカ,ブラックタピオカ,うるめ,田作り |
淡水魚の王ともいわれる鯉。中国黄河の激流域である龍門を登り切った鯉は龍になるという故事から立身出世の象徴とされてきた。
日本でも吉祥文様として数多くの工芸品に用いられたり,鯉のぼりとして登場する。そこで仲屋町ではこの鯉が絵皿の中から勢い余って飛び出した様を「だし」のバックに,そしてこの鯉に負けないぐらい元気のいい猿を「だし」の中心に心を込めて製作した。
鯉のぼりを立てる親心のように・・・。
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猿舞
「風神雷神」 |
春巻きの皮,あられ,昆布,するめ,麻,みじん粉,クロレラ,寒天,とろろ昆布,クルミ,青梅,苔 |
恐ろしくもあり,どことなくユーモラスな俵屋宗達の風神雷神図。
天衣を躍らせ足を踏みしめる「雷神」が混迷した世相に渇を入れ,風袋を翻し空を駆ける「風神」が低迷した経済に活力を吹き込む救世士。
猿が風神雷神を猿舞(演舞)します。たなびく天衣,送達の金と緑青の色使いに為心町の技を駆使し,二曲一双の金屏風を半双で表現しました。 |
各町会では数ヶ月前から皆が力を合わせ,「だし」を工夫して取り付けするのだそうです(祭り2日めに,優秀作品を選ぶコンクールが有ります)。左義長は,化粧をした若者にかつがれて「まっせ,まっせ」,「ちょうやれ,ちょうやれ」などと声を出しながら市内を練り歩いた後,2日目の夜,日牟礼八幡宮の境内で順に(子供左義長は6:00から,最終は10:30ごろ)点火されます。
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