|
|
曳山巡行の様子 |
|
<巡行経路> |
|
|
|
|
|
|
|
参道の一部が商店街(アーケード)となっています。ここでも歌舞伎が披露されていました。 |
|
|
八幡宮からお旅所までの@〜Fの位置で,交互に4基の山車が歌舞伎を奉納します。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
昼間のお旅所の風景
ここに13台の山車が並ぶことになっています。
右側には歌舞伎を披露しない山車が並んでいます。
雨でカバーが掛かっていて豪華な山車全体が見えないのは残念です。 |
|
|
|
|
夕方の同じ地点の風景
各々の山車には提灯に点灯されています。
これからこの広場の中央に山車が止まり,歌舞伎が披露(奉納)されます。 |
|
|
|
|
1台の山車の歌舞伎が終わり左側に移動した後,所定位置に次の山車が入ってきました。座っているのは,役者達です。 |
|
|
|
|
|
|
子供歌舞伎の由来 |
|
400年あまり前の戦国下克上の時代,当時長浜城主だった豊臣秀吉公に男の子が生まれたと伝わっています。喜んだ秀吉公からお祝いの砂金を送られた町民は山車を作り,長浜八幡宮の祭礼に引き回しました。これが長浜曳山祭りの始まりです。
江戸時代に入ると,曳山の舞台で子供歌舞伎が演じられるようになりました。また,曳山は漆や金銀の彫刻などの装飾が施され,外国の織物なども幕として用いられ,「動く美術館」と呼ばれる形式へと発展していったようです。
13基の曳山のうち,長刀山を除く4基づつが毎年交代で子供歌舞伎を演じます。演じる子供達は,5歳から12歳までの小学生です。
|
|
|
|
子供歌舞伎の紹介 |
|
|
|
(1)高砂山(宮町組):源平魁躑躅 (げんぺいさきがけツツジ) |
|
|
|
|
|
|
|
<あらすじ>
『京都五条の扇屋主人の上総は,平家の旧臣で,平敦盛を小萩という娘に変装させてかくまっている。
そこへ源氏の将,熊谷次郎直実が通りかかり,軍扇を所望する。折から,源氏方の姉輪平次が家臣の木鼠忠太を引き連れて,敦盛詮議のため(注,女性のふりをしていないか調べるため)と,扇折の乳房をあらためる。小萩の乳房をあらためようとした時,熊谷が割って入り,名乗りをあげる。
熊谷は上総に,姉輪は敦盛の顔を知らないため上総の娘,桂子を身代わりに立てるよう良い含める。覚悟を決めた上総は,奥の一間で娘桂子を討ち,その首を敦盛の首と偽って差し出す。
姉輪はその首を持ち帰ろうとするが,抜け駆けの功名は許さない熊谷に投げ飛ばされる。姉輪は,自分から転んだのだと負け惜しみを言いながら,忠太と共に去っていく。
場面は五条橋に変わり,熊谷は源氏の大群が出陣したことを聞き,自身も出陣しようとする。ここに敦盛が現れ,最前の熊谷の配慮に感謝し,その場で自らの首を討ってくれるよう願いでる。だが,熊谷はすでに敦盛の首は上総によって討たれたと言ってこれを聞かない。
敦盛は熊谷のたび重なる情けに感謝し,上総に別れを告げ,熊谷と一ノ谷での再会を約束して須磨の浦へと向かうのであった。。。』(パンフレットより)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
(1)姉輪 |
⇒ |
(2)扇折おひろ
<↑ クリックすると拡大します> |
⇒ |
(3)熊谷 |
|
|
|
|
|
|
|
(4)上総は,娘桂子の首を差し出す |
⇒ |
(5)姉輪と木鼠 |
⇒ |
(6)小萩(敦盛) |
|
|
|
|
|
|
|
(7)上総と熊谷 |
⇒ |
(8)小萩(敦盛)と熊谷 |
⇒ |
(9)敦盛と熊谷 |
|
|
|
|
|
|
|
(10)敦盛と熊谷
<↑ クリックすると拡大します> |
⇒ |
(11)敦盛と熊谷 |
⇒ |
(12)お見事!! |
|