直線上に配置

ぼんのこへんのこ祭り
(琵琶湖の周辺(64)) 
(平成23年7月31日撮影)


<音声あり>


   

   

 ぼんのこへんのこ祭りは,滋賀県湖南市甲西町平松の松尾神社で,毎年7月31日に行われる祭りです。奇祭と呼べるかも・・・

 
松尾神社は,そもそも私の通勤路から少し入ったところにありますが, 20年近く通っていて,一度も立ち寄ったことのない所でした。
神仏習合の名残で,南照寺(天台宗)と同一敷地内にあります。

 「ぼんのこへんのこ祭り」の「ぼんのこ」とは茅の輪のことで,一説に,煩悩とか。 また「へんのこ」とは「へのこ」で,所謂
男性のシンボルのことです。
 
   

   
 
南照寺の門と松尾神社 南照寺 境内全景(右が南照寺,正面が松尾神社)
 
         
   松尾神社拝殿    拝殿内に置かれた
茅の輪(ぼんのこ)
  茅の輪(ぼんのこ)拡大    松尾神社本殿   
 
   

   
           
      祭典開始   要部拡大   祭典の状況(角度を変えて)        
   
  14:00に摂社の三宝荒神の前で,南照寺の住職と氏子達が大きな茅の輪(ぼんのこ)を囲むようにして,神主による一連の祭典が開始されました。
 この茅の輪には,御幣,
50cmほどの男性シンボル3個の串刺ししたナスビ (これは睾丸を意味するとか)が突き刺してあります。 このシンボルは数百年前につくられたもので,黒光りしています。 
 
   

   
 
   ←小学生中心で,これから町内を練り歩くところです。      
   
     
    終了後,4〜6年生の男子生徒がこの茅の輪を持って,「ぼんのこへんのこ作右衛門のナスビや〜い」とかけ声をかけながら,太鼓とともに町内を練り歩きます。
 町内を一巡し帰ってきて,茅の輪を8の字の形にして,神社の裏にポイとなります。
8の字は合体を表すそうですが・・・。


 何やら意味不明のようですが,実はこの祭りは集落内の火事や災難よけの意味があるようです。
三宝荒神は火の神,かまどの神であり,約600年前(至徳3年(1,386年))に作右衛門という人が建設した神社が全焼し,再建したのもつかのま,再び焼失。これを嘆いた村人達が始めたのがこの祭りだといわれてます。
 江戸時代にこの行事を一時やめたところ,やはり火事にみまわれたという伝えがあるそうです。


 神仏習合により,松尾神社南照寺(天台宗,本尊:薬師如来)が同一敷地内にあるのは,浄照寺の場合と同様です。また,浄照寺でも,男性のシンボルを飾っていました。しかも,行事への参加も,原則男性のみです。
(今回は,子供達が参加していることもあり,お母さん達も数名いました。)
このように,共通点の多いことが分かりました。
ただ,この南照寺では1月のオコナイはあまり盛大ではないようです。

   

   
     <<追記>>
   (a)松尾神社について:
 松尾神社が領主藤原頼平により,山城の国から最初に勧請されたのは今から約1,100年前の文徳天皇仁寿3年(853年),「うつくし松」の地でした。それを1,138年に現在地に移しています。その理由ははっきりしませんが,この近辺への人々の定住に併せたものと推測されています。また,7月31日に祭りをするのは,三宝荒神の対面側にある同じく火守の神である愛宕神の祭礼日に併せたものとされます。 
   
 
         
江戸時代から「東海道名所図絵」にも登場するほど有名な松です。現在,国の天然記念物になっています。また,湖南市の木に制定されています。

最近の研究で,この松の特異な形は
劣性遺伝によることが判明したとのこと。種の1/4がうつくし松に,残りが普通の松に育ちますが,その見極めに7〜8年かかるようです。

(b)南照寺について:
桓武天皇延歴24年(805年)に伝教大師が「うつくし山」麓に草堂を建立,のち853年に松尾明神を同所に勧請し,南照寺はその神宮寺となっています。本尊の薬師如来秘仏で,33年目に開扉,内陣には本尊を中心に十二神将,不動明王,十一面観世音菩薩等を祀っています。近江湖南27名刹霊場 第12番。 
(「うつくし松」は松尾神社のご神木となっています。)
   
   

   
<参考文献>
1 「滋賀の百祭」:大塚虹水著,京都新聞社発行,1998,4,30 
「湖(Mizuumi)」:滋賀銀行発行,2011年7月, No.178
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