長坂アナと福元アナの2人は多摩センターの駅前にやってきました。多摩センターは東京都心から西に30キロのベッドタウンです。
長坂「最近つくづく思うのは現代人は自然を知らなさ過ぎる。森の心地よさとか、食べ物だって自分で採って食べるってことないじゃない。ということでアウトドアの原点を探そうということで多摩センターにやって来ました」
福元「ちょっと待って下さい、住宅街とアウトドアは関係ないような気がするんですけど」
長坂「実は深い関わりがあるんだ」
福元アナの疑問に答えるために長坂アナが写真を取り出しました。
長坂「縄文遺跡の発掘現場の写真なんだけど、ここ多摩センターで発掘されたものなんだ」
5千万年以上前、ここには豊かな自然の恵みを生かして生活する縄文人の暮らしがありました。その事実が明らかになったのは、昭和50年代の事。新興住宅地を開発中、縄文時代の住居跡が次々と発見されたのです。多摩ニュータウンでこれまで確認された縄文遺跡の数は実に600。驚いたことにここは縄文時代も“住宅地”だったんです。
山では狩り、川では漁、そして森ではキノコ採り。自然と共に暮らす豊かな生活は、実に1万年も続いたのです。
長坂「いわば縄文時代の生活は毎日がアウトドアなわけですよ。彼らがどういう生活をして何を食べていたか気になるでしょ?」
福元「気になる〜! でも住宅街から?」
長坂「まずは住宅街からです!」
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2人がやってきたのは東京都埋蔵文化財センター。ご指導いただく先生は食文化研究家の永山久夫さんです。日本食の合理性、優秀さに早くから着目し、その研究に情熱を注いできました。歴史ドラマの食事の時代考証をはじめ古代食の再現などで活躍しています。
福元「タイムスリップしたみたい!」
永山さんに案内されたのは、この施設の中に再現された縄文時代の住居です。およそ4200年前、この付近にはこのような茅葺きの竪穴式住居が数多く建てられていたそうです。中に入ってみると入り口の低さから想像できないくらい広いんです!
住居の中に用意されたキノコ、山菜、イノシシ肉、干し肉、干物、昆布、などの食材は...
永山「縄文時代の人が食べていたものを並べてみました。冷蔵庫なんかないですから自然にあるものを採ってきて新鮮な状態で食べるわけです」
福元「昆布とか煮干しを見ていると、今の私たちの食事に通じるものがありますね」
永山「ありますよ、だって和食の原形はおそらく縄文時代に出来ていますから。そしてこの木の実が主食だったんです」
縄文人にとっての木の実は、現代人にとってのご飯のようなもの。この木の実を主食とすることで、現代と同じような炭水化物中心の食生活を送っていたと考えられています。しかし木の実の中にはトチの実やドングリなどのようにアクが強く、食用に適さない物も数多くありました。そこで、当時の人々が利用したのが土器です。土器でじっくり煮込んだり、水さらしをすることで、アクを抜きおいしく食べられるようにしたのです。
永山「どんぐりをおいしく食べるために試行錯誤して結果的に土器を発明したのかも知れない」
長坂「なるほど、その可能性もあると」
1986年、山形県押出(おんだし)遺跡から縄文人の食生活をしのばせるものが発見されました。それは木の実を主原料にした加工食品の炭化物。名付けて、縄文パン。今回は、永山さんのアレンジでこの縄文パン作りに挑戦します。
まずは材料集めです。永山さんに案内されたのは近くの公園。ここに落ちている”マテバシイ”という木の実、なんとこれが材料になるというのです。
長坂「これを食べようっていうの?(笑)」
永山「おいしいんです、さっぱりしてて」
長坂「駅前の公園で拾ったシイの実!」
福元「拾い食いですね、ある意味(笑)」
マテバシイの木は、公園の並木や街路樹としてよく使われていますが、古くは縄文時代から日本に自生していました。さらにこの実は、アク抜きの必要がないので手軽に調理することができます。3人が拾い集めた量は、あれ、福元アナ少ないようですが...
永山「この人は足らないからパンあんまり食べさせられないね」
福元「ヤダァ〜、ちょっとさぼっちゃいました(笑)」
縄文パンへの道はまだまだ。調理の前にまずは火起こしです。
長坂「また原始的なものが出てきましたね〜」
杉の板にアジサイの枝をこすって火を起こします。
福元「もう煙が出た! たった5,6秒ですよ!」
できあがった火種は、麻の繊維やガマの穂の綿毛など、燃えやすい物にうつし息を吹きかけます。長坂アナ、煙で涙を浮かべながら必死です。煙がだんだん大きくなると...
長坂「びっくりした!」
炎が突然あがります。
苦労の末に出来上がった火種で燃え上がった焚き火。
長坂「今まで100回以上焚き火してるけど一番嬉しい!」
福元「今だったらライター一つで済んじゃいますから」
長坂「これで満足感たっぷりだけど、これからだからね、料理は!」
おき火になるのを待ってから平らな石を放り込みます。これがフライパンの代わりになるのです。
調理開始です。まずは、マテバシイの皮をむいてからすり石で細かくつぶしていきます。つなぎとして、山芋をすり下ろして入れたあとうずらの卵に甘味のハチミツ、そして塩を少々加えて練り込みます。最後に山椒の葉で香りつけ。
永山「味がいいから子供たちは作ってってせがんだと思うんですよ」
長坂「縄文時代にお母さん作って!って思えちゃうところがすごいね」
福元「魅力がありますよね」
縄文時代のパン、どんな味に焼き上がったのでしょうか?
材料集めから実に3時間、いよいよ縄文パンを味わいます。長坂「いただきます」
福元「香ばしい! やっぱり木の実の味が口いっぱいに広がる!」
長坂「木の実の味がする!」
福元「自然の甘味っていうのかな、ちょっと栗の味に似てる! 飲み物がほしくなりますね」
永山「縄文パンは、飲み物はいっさい飲まずにこれだけで味わってほしいんですよ」
福元「しっかり噛む!」
縄文パンを焼き上げるまでにした苦労を考えると急いで飲み込むわけにはいきませんよね!
縄文時代以前の旧石器時代。日本列島がまだ氷河に覆われていた頃、人々は大型野生動物の肉を主食としていました。当時食べ物のバリエーションは、それほど多くありませんでした。しかし、今から1万3000年ほど前、気候が徐々に温暖になっていきます。それによって生まれたのが広葉樹の森。この森が縄文人たちに、木の実やキノコ、そして魚など、豊かな食材をもたらしてくれたのです。縄文人たちの食生活を支えていたのが、縄文式土器です。
ここ多摩ニュータウンで発掘された本物の土器を、今回特別に見せていただきました。
永山「本物の縄文式土器がここ、多摩センターの周囲から出てきたんです。僕が圧倒されるのは、これを作った人は特別な技術者じゃないってことなんです。普通の生活人、お母さんやおばあちゃんだったりするんです」
ここで永山さんが一つ土器を取り上げて、マムシの模様を持っていることを説明してくれました。
長坂「自然の模様をこうやって織り込んでいくってことは、それだけ観察力があったんでしょうね」
自然の模様を刻み込んだ縄文式土器。当時の人々は、この土器で実際に煮炊きやアク抜きを行っていました。合理性を追求する私たち現代人にははかりしれない感受性を持って日々の生活を営んでいたのかもしれません。
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次に永山さんに案内されたのは、福島県大玉村(おおたまむら)。縄文時代の生活を再現している施設を訪ねました。
長坂「田んぼだ!」
福元「たわわに実ってる!」
永山「縄文時代の稲作を再現した水田です」
今の稲と違うのはノギ(稲の先のヒゲ)が長いこと、赤みを帯びた色をしていることです。
大陸から日本に米が伝わったのは今から3千年ほど前、縄文時代の晩期のことと考えられています。この赤米が私たちが口にする米の原型なのです。
永山「おめでたい日にお赤飯を炊きますよね。赤飯はご先祖さまの苦労をしのぶってことなんです。小豆で色をつけた赤飯は古代米の再現です」