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民話の里 高千穂を訪ねて
(平成20年5月4〜5日撮影)                  <音声あり>

5月の連休に,神話と伝説の町,宮崎県「高千穂」町を訪ねました。

高千穂は,天孫(邇邇芸命(ににぎのみこと))降臨の地とされています。
(一説では,霧島にある高千穂峰ともされており,決着がついていないようですが。)

高千穂では,国の重要無形文化財に指定されている夜神楽が,毎年11月中旬から翌年2月上旬まで,地区の公民館や一般の民家など町内の19の地点で奉納されます。この夜神楽が,高千穂神社で毎晩,年中無休で演じられているというので見てきました。

天孫降臨神話高千穂(古事記より)
<神々の誕生> (多賀大社国生み神話参照
天地がはじめてできて以来,神々が現れ,現れては姿を消し,最後に現れたのが伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の男女2神でした。伊邪那岐命・伊邪那美命は天地の間にかかる「天の浮橋」に立ち,「天つ神」から授かった「天の沼矛(ぬぼこ)」で混沌とした海をかき混ぜ,引き上げました。この時したたり落ちた潮水から「おのころ島」ができ,ここで伊邪那岐命・伊邪那美命は「天の御柱」の周りを回って夫婦の契りを結び,大八島や神々を生みました。
伊邪那美命は最後に火の神を生んで亡くなり,「黄泉(よみ)の国」へと旅立ちます。伊邪那美命を追って黄泉の国に行った伊邪那岐命は,すっかり変わり果てた伊邪那美命の姿に驚き逃げ帰り,筑紫の日向の阿波岐原で禊(みそぎ)をしました。この時,左目を洗うと天照大御神(あまてらすおおみかみ),右目を洗うと月読命(つくよみのみこと),鼻を洗うと素盞嗚尊(すさのおのみこと)が生まれました。伊邪那岐命は,天照大御神に高天原を,月読命には夜の国を,素盞嗚尊には海原を治めるように命じました。

<天岩戸伝説>
素盞嗚尊は海原へ行こうとせず,母の国に行きたいというので,伊邪那岐命はたいそう怒って素盞嗚尊を追放してしまいましたが,素盞嗚尊は高天原に乱入し乱暴をはたらき,天照大御神を多々困らせるようになりました。そのため,天照大御神は怒って天岩戸の中に閉じこもってしまいました。太陽の神がいなくなった世界は闇に閉ざされ,災いも多くなり,困った八百万の神々は天安河原(あめのやすかわら)に集まり秘策を練りました。それは,鈿女命(うずめのみこと)が岩屋の前で桶の上に乗り,「おがたまの木」の葉を降りながら面白おかしく踊りまわるというもので,この騒ぎを不思議に思った天照大御神は岩屋の戸をわずかに開きます。そこですかさず手力雄命(たぢからおのみこと)が岩屋の戸を押し開き,女神を外へ招きだし,ようやく天地に光が戻ることになりました。

<天上界から地上界へ>
天照大御神から地上界の混乱を治めるため,降臨を命じられた邇邇芸命(ににぎのみこと)は,高千穂の「くしふる峰に降り立ったのでした。邇邇芸命は,この地は韓国(からくに)に相対しており,笠沙の御崎(笠沙岬)<地図参照>に繋がっており,朝日がまっすぐ射す国,夕陽の明るく照る国である。だからここはとても素晴らしい所だ。と言って,驚くほど太い柱の壮大な宮殿を建てて住まわれたのです。


高千穂高千穂峡 高千穂峡は,大昔に,阿蘇山の火山活動に伴って帯状に流れ出した溶岩が,急速に冷え固まってできた柱状節理の断崖です。
距離は約7km,高さは平均80m(最大100m)もあります。



人が
います。
高千穂のきれいな山々
(平地と山々の堺に五ヶ瀬川峡谷があります)
高千穂峡にかかる,年代と材質の異なる橋
(神都高千穂大橋,高千穂大橋,神橋)
絶壁の上から,こわごわ淵をのぞき込む人々


高千穂神社
1,800年前(十一代垂仁天皇)の創建とされ,以下の系譜で示される神々(日向三代と配偶神)他を祀っています。また境内には源頼朝の代理参詣した畠山重忠が手植えした樹齢800年の秩父杉もそびえています。

<参考>
天照大御神から神武天皇までの家系図は,こちらにも示しています。
鳥居 夫婦杉と本殿 七五三縄(しめなわ)

高千穂神社の夜神楽高千穂神社の神楽殿では,毎晩8:00から9:00まで,夜神楽が演じられています。
夜神楽は33番まであるようですが,そのうち以下の4番が演じられています。
神楽殿舞台に下がる装飾
紙の切り抜き:「宝来」
七五三縄(しめなわ)
戸取の舞 御神体の舞

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(1)手力雄たぢからお)の舞天照大御神が天の岩戸にお隠れになったので,力の強い手力雄命が天の岩戸を捜し出すため静かに音を聞いたり考えたりする様子を表現しています。

(2)鈿女(うずめ)の舞天の岩戸の所在がはっきりしたので,その前で天鈿女が面白おかしく舞い,天照大御神を岩屋から誘い出そうとしています。

(3)戸取(ととり)の舞天の岩戸も岩屋の戸も所在がはっきりしたので,手力雄命が岩戸を取り除き天照大御神を迎え出す舞で,勇壮で力強く舞っています。

<再生ボタンを押してください>
(4)御神体(ごしんたい)の舞別名国生みの舞ともいい,伊邪那岐命・伊邪那美命の二神が酒を造ってお互いに仲良く飲んで抱擁しあい,極めて夫婦円満であることを象徴しています。


天岩戸神社
(あまのいわとじんじゃ)
東西2つの社殿があり,東本宮では天照大御神・手力雄命・鈿女命を,西本宮では天岩戸祀っています。
天岩戸は,社殿背後を流れる岩戸川断崖の中腹にある洞窟で,素盞嗚尊の乱暴に怒り,天照大御神がお隠れになった所とされています。


天岩戸神社(西本宮)の拝殿 拝殿でお祓いを受けてから裏に周ると,足下を流れる天岩戸川を挟んだ対岸に御神体の天岩戸が見えます。
(本当は写真撮影禁止です)

左の説明図です。
御神体の「天岩戸」(拡大)
ここに洞窟があるはずなのですが,・・・

(本当は写真撮影禁止です)
天岩戸神社神楽殿の装飾:
(宝来)

ここでも神楽が奉納されます。
招霊(おがたま)の木
鈿女命が手に,舞を
まったと伝えられています。

天安河原
(あまのやすかわら)
天岩戸神社の近くにあります。天照大御神が天岩戸にこもられたとき,八百万の神々が集い,神議を重ねたという場所です。
天安河原へと向かいます。
右は岩戸川です。
ここが天安河原です。 洞窟の奧にある天安河原宮

<参考文献>
1. 「高千穂町観光協会」発行パンフレット

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