直線上に配置

伊吹山
(1) 化石を探しに (2) 登山ご来光

(琵琶湖の周辺(6))
(1)(平成30年8月2日撮影),(2)(平成13年8月5日撮影

  伊吹山は日本100名山の一つです。
伊吹山は,岐阜県との境にあり,滋賀県内では最も高い山です。
 (1377mで,あまり高い山とはいえませんが)。

(1)伊吹山に久しぶりに登ってきました(平成30年8月2日)。

・・・といっても頂上近くまでドライブウエイで行き,駐車場に車をおいて,そこから頂上までは遊歩道を登ったのですが,その遊歩道の途中で,ウミユリ(動物)の化石を見つけました。また,頂上(1377m)の標識の根元でも,同様の化石を見つけました。

 石灰岩でおおわれている岐阜県の大垣近辺〜伊吹山〜河内風穴近辺の山々は,2億数千年前に太平洋南部の海(パンサラッサ海というようです)の底にあったサンゴなどが太平洋プレートに乗って日本まで到達・衝突し,隆起したとされています。
.

  ドライブウエイの登り口(関ヶ原)近くにあった鍾乳洞や先日(1週間前)の河内風穴,また頂上の化石などで,数億年?というスケールの大きな地球の歴史の一端が実感できました。 

(2)伊吹山夜間登山に誘ってもらい,ご来光を拝んできました(平成13年8月5日)。

JR近江長岡駅に近い麓をPM10:40出発,AM2:40山頂着で,頂上まで(車など利用することなく)歩いて登りました。登山道は,途中傾斜のきついところもありましたが,4時間でなんとか登れました。

山頂は少し寒く,仮眠を少し取った程度ですが,幸運にもご来光が望め,お花畑もきれいでした。


(1)化石を探しに
   
駐車場から遊歩道を登ります。     遊歩道(〇印)でみつけたウミユリの化石   同左拡大     
     
       
               
     頂上で見つけた化石 同左拡大 (ウミユリの化石)   頂上のヤマトタケル像     
         
       
 
ウミユリの化石とは:

『 
所さんの目がテン!
東京で化石探し

読売TV
(2021.03.28)
より引用
 
 店の人にもらったフズリナの化石 
 
   
       
 
       
       
   三角点    頂上の店と休憩所   頂上のヤマトタケル像   
 
 
         
       
   お花畑    お花畑    お花畑  
       
     
       
   頂上付近からの眺望  (琵琶湖は白く光っています)
   



(2)登山とご来光までの様子
(a)ご来光までの様子
@⇒A⇒B⇒Cと,空や雲の色の経時的に変化していく様子が,とてもきれいでした。

          (写真をクリックすると,拡大して見ることができます。)
@
まだ太陽は出ていません。
周りは,真っ暗です。
東の空に向かってただ待ちます。
A
空が白んできました。
太陽はまだ出ていません。
中央の高い山が
御嶽山(3063m),その左が乗鞍岳(3026m)および北アルプスと思われます。
B
太陽は最初は雲海に隠れていましたが,幸運にも,一瞬だけ,その間から一筋の光(ご来光)を放ちました。このとき300〜400人の観衆(?)から,拍手がわきました。
(上右の写真は,別の角度から撮ったもので,斜面に人々がいます。)
C
陽が昇り明るくなると,眼下にはシモツケソウの広いお花畑が広がっていました。


(b)お花畑
  
伊吹山は,地理的に,この山独自の植物(固有種)や薬草が多いことで知られたところです。
  伊吹山全体では,シダ植物以上の植物が1,250種もあり,そのうち山頂一帯のお花畑では約350種が見られるようです。
  (毒草として知られる
トリカブトの仲間の「イブキトリカブト」なんてのも有ります。)  
  
  山頂からの帰り道,登山道の周囲で観察された花々をいくつか写真に撮りました。

シモツケソウ(バラ科) クガイソウ(ゴマノハグサ科) メタカラコウ(キク科)
カワラナデシコ(ナデシコ科) クサボタン(キンポウゲ科) キリンソウ(ベンケイソウ科)
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シシウド(セリ科) クサフジ(マメ科) シオガマギク(ゴマノハグサ科)
オオバギボウシ(ユリ科) コオニユリ(ユリ科) (おまけ)伊吹山頂にある日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像
米原市の「居醒の清水」のほとりにも有ります。

(c)頂上にて
    平成13年8月5日)
 
   
   バックにあるのが,日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像です。 
古事記・日本書紀
によれば,日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が伊吹山のイノシシ(悪い神)を退治した際に“毒気”にあたり,居醒の湧水で癒されたとされています。

ヤマトタケルノミコトは第12代景行天皇の皇子で,古事記では「倭建命」,日本書紀では「日本武尊」と記されています。

叔母のヤマトヒメノミコトからもらった草薙の剣
(くさなぎのつるぎ)をもって東奔西走,各地の豪族を従えましたが,伊吹山のイノシシ(悪い神)を征伐しに出かけた際に,たまたまこの草薙の剣を持たずに出征したため,大きな痛手を被ってしまいました。この時,山を下りた所で癒されたのが居醒の清水とされています。

しかし,日本武尊はこの傷が命取りとなりヤマト(奈良)に帰る途中,能褒野
(のぼの)という所で次の歌を残して故郷を偲びながら帰らぬ人となってしまったようです。

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(やまと)は国のまほろば 

          たたなずく  青垣
              山隠れる(やまごもれる) 倭(やまと)しうるわし−−
   


(d)眺望
  伊吹山からは,眼下(雲の下)に長浜市琵琶湖を眺めることができました(前方は琵琶湖です)。




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