金平糖,変わり玉,みたらし団子,タニシ飴,干菓子
食品関係の粉粒体(4)
<粉粒体の部屋(4-4)>
 ここでは粉粒体技術の応用例として,食品関係の粒体(その1)を紹介しています。

 食品用「粒体」としては,お菓子類や米,小麦,大麦,大豆,小豆,ごま,果物の実(種)など多数有ります。
また,お菓子にもクッキーや豆菓子など非常にたくさん有り,数え切れないくらいですが,以下にいくつか示します。

 (1)平糖
巨峰味の金平糖
紫蘇味の金平糖
苺味の金平糖
柚子味の金平糖

(a) 製造元 :京都の金平糖製造専門店であるRです。
(b) 製造方法 :大きいお盆(平鍋)のようなものを傾けた状態で回転させておき,核となる小粒子に,グラニュー糖を溶かした[]を繰り返しかけ,粒子を回転させながら粒を大きくしていきます(下図と動画参照)。この方法は,専門的には「転動造粒」といい,粉体工学の一分野です。

<以下,造粒便覧より>
[1] 下がけ(はじめの丸形の造粒工程)
 
 下がけの蜜は糖度30度で品温45℃とします。タライのような(直径2m,深さ50cm)やや深い鍋型の容器を45°に傾けた状態で回転(1回転80秒)させておき,ここに核となる粒子(R社ではイラ粉という餅米を細かく(0.5mm)砕いたものを使用しているとのこと)を入れます。これに,上記の蜜をかけて1〜2日がかりで丸形を作ります。

[2] 角がけ(つのがけ)
 
 下がけで適当な大きさになったら,蜜は糖度40度にし,50℃に加温します。また平鍋を30°に傾斜させ回転します。そうすると部分的に速く乾燥する所が生じ,盛り高となり,そこにまた蜜がついて,角が出てきます。角が出てきたら傾斜をさらに25〜22°に下げ,糖度も30度,品温45℃に下げます。
 R社では,パンフレットによると8日めでイガ(角)が出揃うそうです。
  
[3] 仕上げ
  
低温(25〜27℃)で通風乾燥します。
  
R社では,完成までに16〜20日かかるそうです。なお,職人さんは,皿の上を流れ落ちる金平糖の音で蜜をかけるタイミングを計っており,集中力が必要なので,作業を見学することは不可とのこと。

(c) 歴史:金平糖はポルトガル語の「コンフェイト」が語源で,約450年前にポルトガルの宣教師が織田信長に布教を願って献上したのが日本での最初の登場だそうです。当時はとても珍しく,貴重な品とされ,製造方法はいっさい秘密でした。日本で金平糖が作られるようになったのは,長崎→京都→江戸へと広まり,それ以降です。
R社は,創業弘化4年(1847年)だそうです。)
(d) 種類:R社では,チョコレート,ブランデー,梅酒,日本酒,トマト等の味の金平糖をはじめ,珍しい金平糖を多く作っています。


(2)
変わり玉

@直径:φ16mm
A色:赤,オレンジ,黄色,緑,白(5色)


変わり玉は金平糖と同様に,転動造粒法で作られ,嘗めていると違った色が楽しめる昔ながらのお菓子です。
異なる色の蜜を何層にもかけながら,大きくしていきます(下図参照)。
変わり玉の断面を観察しました。何層もの違う色からなっています。
赤色玉 緑色玉 黄色玉 オレンジ色玉
 


(3)
みたらし団子:
みたらし団子は明らかに,転動造粒法です。
(A)
滋賀県草津市穴村「吉田玉栄堂」さんみたらし団子

このみたらし団子は,江戸時代頃から作られているようで,形に特徴があります。
竹製の扇形の串10本に,団子50個が刺してあります。
各1本には直径約1cmの
大きめの団子1個と,それから少し離れた所に,直径7〜8mmの小さな団子4個の計5個が刺してあり,それが10本で計50個です。(5個の団子はそれぞれ5体を表し,離れている大きいものは頭を意味するとか。)

タレは,甘さを抑えた醤油味です。


もともと,このお団子やさんの前には,古くから鍼灸院(今は,「あなむら診療所」という所)が在ったようです。このお灸は,モグサから採った液をつぼにつけるだけで熱くないため,子供を連れて多くの人が訪れたそうです。そしてそこに来た親子連れがこのお団子を買ったようです。

50個(串全体)が¥300円でした
(平成19年10月)。
包装紙 包装紙(片側)

(B)(京都)下鴨神社横にある「加茂みたらし茶屋」さんみたらし団子
このみたらし団子は,なんといっても歴史が古く,みたらし団子のルーツともいうべきものです。

元々は下鴨神社の氏子たちが神饌菓子として作ったのが始まりで,原形は平安時代まで遡ります。またこの
みたらし団子は,下鴨神社境内の(ただす)の森にある御手洗(みたらし)湧水の水玉をイメージしたものだそうです。

なお,団子は1個と,(少し離れて)4個の組み合わせですが,1個の大きさは直径2cmと大きく,2〜3本で満腹です。


由緒書きは,以下のようになっています。

京名物 登録商標「加茂みたらし」
それ,下鴨のみたらしは,その昔,
後醍醐天皇洛北に難を避けられし途中,下鴨神社“(ただす)の森”に憩はれ給ひし時,この団子を献上。後,秀吉公 北野大茶会に際しても献上。公 親しくその風味を愛で,賞として現在の御茶屋の名称を賜る。爾来(じらい),禁裏の菓匠として御用命を得て今日に至る。
加茂みたらしは,糺の森御手洗池の
湧きだす水玉を形どりて,一二三ツ四ツ五ツ五十串に作り上げたるものなり。いにしえの風味そのままに今に伝へる京名物の一として,有名なり。

また,右の包装紙には,以下のように(?)書いてあるようです。
京名物 加茂みたらし団子 みたらし屋 加茂の花なり 味所よき  八十九段だん水

御手洗(みたらし)の湧水 御手洗神社
(この下からも水が湧出しています。)
7月後半の‘土用の丑の日’には「足つけ神事」と称して,この前を池にして水に浸かり,身体を清める行事が行われるようです。
御手洗川にかかる橋
5個(1本)×10本が¥1,000円でした
(平成19年11月)。
由緒書き 包装紙


(C)
お菓子ではありませんが・・・滋賀/唐崎神社の「みたらし祭り」では,御手洗団子が配られています。

             
 
 
 (唐崎神社)
祭神は,女別當命
(わけすきひめのみこと)です。
      (御手洗団子)
唐崎神社の祭りで配られる御手洗団子。苦労がないようにと,黒色には塗らないのだそうです。 
  (唐崎神社前で売られている御手洗団子) 
数百年前から営業されているとか。現在の店主は19代目だそうです。
湯気がたっていておいしかったです。
¥300円/3本でした
(平成24年1月) 

(4)その他のお菓子の例
(a) 以下のお菓子は,滋賀県大津市神領辻末製菓舗さんのたにし飴です。

瀬田の唐橋の近くで売られているお菓子で,ニッキ味です。
昔ながらの,手作り飴(
転動造粒品)のようです。
原材料は,砂糖・黒糖・水飴・ケシの実・香料で,タニシが入っているわけではありません。



(b) 
以下のお菓子も基本的に,丸めて作るお菓子(転動造粒品)です。
「四季の花」
(φ14mm×25mmL)
「雀の玉子」
(φ15mm×18mmL)
「五色豆」京菓子 「マーブルチョコレート」
(φ15mm×8mmt)


(c)
 以下の飴は,いわゆる金太郎飴を切ったもの((イ),(ロ))およびそれを丸めたもの(ハ)です。

金太郎飴は,巻きずしのように,長手方向に色の異なる飴を多数巻き込んで作ります。
長手方向のどこの位置でも,断面形状が同じという特徴があります。


(イ)「フラワーミックス」
(直径φ12mm×7mmL)
(ロ)名前:なし
直径φ20mm×7mmL
(ハ)「手まり玉」
(直径φ12mm)


(d)
 以下のお菓子は干菓子(ひがし)で,和三盆糖という砂糖を型に入れ固めたものです。

和三盆糖は,200年以上前から徳島・香川で作られている,さとうきびを原料にした砂糖(粉体)のことで,「研ぎ」とよばれる作業と「押し」と呼ばれる作業を5日間も繰り返し,最後にふるいにかけた後,風干しし,完成するそうです。

口に含むとじわーと熔けて甘さが広がる上品な味だと思います。
着色は,食用色素の赤色3号・106号,青色1号,黄色4号などでなされています。


(e) 和菓子  和菓子は,茶道と共に発展してきました。千利休の時代には,亭主自らが手作りする素朴なものでした。
茶会が広く知られるようになったのは天正15年(1587年)に豊臣秀吉が催した北野茶会で,武士はもちろん公家も招かれ,大盛況であったようです。
さらに,江戸時代になると,文化サロンが形成され,身分や階級を越えて,公家,僧侶,武家,上層町人が集まる茶会が開かれました。特に元禄文化の京都では,源氏物語や古今集を素材にした芸術が語られ,光琳派に代表されるような王朝趣味が復興しました。


 
茶会の隆盛に伴い,茶席菓子も変わっていきました。菓子屋にあつらえるようになり,京都では滑らかな求肥や細工物の羊羹が工夫されました。見て美しく,食べて美味しい菓子は,たちまち人々を魅了していきました。その後,江戸時代になり,和菓子の技術や造形の美しさが,ほぼ完成しました。

原材料は,白餡・餅粉・砂糖・水飴・卵白などで,必要により色素赤,黄,青の3種類)で着色されます。

(5)お菓子の起源と発展
 お菓子の発展には,小野氏一族が寄与しています。

 滋賀県大津市小野にある
小野神社の祭神である米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみのみこと)は,我が国で最初に餅の起源となる”しとぎ”やお菓子のもとを作ったとされています。
また,小野道風は,お菓子の体系を創造したことにより
匠守の称号を得,菓子業の功労者に匠や司の称号を授与していました。菓子業に匠や司の免許を授与することは,現在では途絶えていますが,老舗の屋号に匠やを使用することは,その名残として残っています。

<参考文献>
1 造粒便覧,日本粉体工業協会編,1975,5,30 発行
2 「人と土地と歴史を尋ねる「和菓子」」,中島久枝著,柴田書店,2001,3,3発行
3 小野神社パンフレット

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