湖北の観音様を訪ねて
十一面観音
琵琶湖の周辺(51)
(平成20年4月12日撮影)
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湖北(余呉町,木之本町,高月町)には56〜57ものお寺があり,その数以上(130体以上)の仏像(十一面観音様や薬師如来など)があります。
静かな落ち着いた地域で,無住のお寺も多く,住民が心をこめてお世話されており,なかでも高月町は「観音の里」と呼ばれています。
高月町向源寺の渡岸寺十一面観音は有名ですが,一度拝観しているので(東京国立博物館にて),今回そこには行かず,以下の各所を訪れました。
湖北はちょうど桜の満開の時期で,観音様も桜を愛でているようでした。
<高月町>
(1)冷水寺
(2)西野薬師観音堂
(3)正妙寺
(4)赤後寺(しゃくごじ)
<木之本町>
(5)石道寺(しゃくどうじ)
(6)己高閣(ここうかく),世代閣(よしろかく) |
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渡岸寺
十一面観音
(パンフレット
より引用) |
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冷水寺: |
ここは無住で,村人がお世話されていました。小さなお堂に座像の十一面観音が安置され,その横には,村人手作りの「日本一小さな資料館」がありました。
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冷水寺観音堂 |
「世界一小さい資料館」 |
十一面観音座像
(仏像の鞘仏(さやぼとけ)となっています) |
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★ 体内仏(聖観音菩薩座像)は,今から1300年前僧・行基が刻んだものとされ,賤ヶ岳の戦い(天正11年,1583年)の際,この寺(安浄寺)も火に包まれ,大きく焼損してしまいました。村人達は小さなお堂を建てて祀っていましたが,江戸時代(元禄12年(1702年))に十一面観音の鞘(さや)仏を造り,痛ましいお姿を体内に納めたそうです。
平成8年,屋根の修復工事の際に,実際に伝承どおり体内仏の姿が確認され,感激した村人達が手作り資料館を造ったのだそうです。
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西野薬師観音堂
(充満寺): |
こちらも無住で,電話をして村の当番の方に来てもらい,開けてもらいました。
十一面観音と薬師如来の前でお辞儀をして,間近に拝むことが出来ました。 |
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ここも無住のお堂でした。 |
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左:十一面観音(平安時代初期),
右:薬師如来(平安時代中期)。 |
(黒っぽいのは漆の色です。) |
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映像はNHK「ぐるっと関西プラス」
から引用(H19,12,15放送) |
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戦国時代,もともとこの2体は近くの泉明寺という所にあったそうですが,戦乱でお堂が焼ける中,村人が命がけで運び出したものだそうです。 |
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正妙寺: |
小高い坂(階段)の上に,十一面千手千足観音は,ひっそりとおられました。
ここも無住で,村人に扉を開けてもらいました。
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高さは42cmと小さい仏像でした。
(この種の仏像は全国的にもここだけのようです。) |
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★元々は近くの村を治めていた豪族の奥方の守り仏だったとか。戦火でお堂が焼け出されていたのを村人が祀ったようです。 |
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映像は,NHK「ぐるっと関西プラス」
から引用(H19,12,15放送) |
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赤後寺: |
お寺なのに,神社の中にありました。無住で,村人に扉を開けてもらいました。
戦火の中,村人が川の中に隠して守ったという観音様は,手が取れたいたましい姿でした。 |
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赤後寺はお寺なのに神社(日吉神社)の境内の中にありました。 |
千手観音,聖観音はこの中におられます。造りが東照宮などと同じとのこと。
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千手観音 |
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聖観音 |
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(パンフレットより引用) |
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戦国時代に,村人たちが土に埋め,川に沈めて戦火から守った千手観音と聖観音です。
特に千手観音は,頭上の仏面全部を失い,左手7本,右手5本の肘から先をなくされ,
非常に痛々しいご様子です。そのため,2体とも長年秘仏とされてきました。
聖観音は「コロリ観音」ともよばれています。
この「コロリ」は,「災い転じて,利となす」の「転利(コロリ)」からきているようです
長患いなく極楽往生できるほか,眼病やコロッと産める(安産)というご利益があるそうです。 |
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石道寺: |
この観音堂も無住で,当番の村人が開けてくれました。 |
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観音堂は,桜の向こう側に見えます。
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石道寺の十一面観音 |
(十一面観音の口には紅がさしてあり,優しそうなお顔だちでした。) |
(パンフレットより引用) |
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石道寺は,神亀3年(726年)延法上人が創建し,その後延暦23(804)年伝教大師(最澄)が十一面観音を祀り再興したとされます。現在の観音堂は,明治年間に,約1km離れた地点から移築されたそうです。 |
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己高閣,世代閣: |
これらは,観音様の収蔵している建物の名前です。同じ場所に2棟あり,村人が管理されていました。 |
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己高閣(ここうかく) |
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世代閣(よしろかく) |
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鶏足寺の十一面観音 |
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戸岩寺の魚籃観音 |
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(住民が建設費を負担したそうです) |
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(己高閣蔵) |
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(世代閣蔵) |
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(パンフレットより引用) |
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(パンフレットより引用) |
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己高閣・世代閣の東方には,己高山(こだかみやま)(923m)があり,そこには奈良時代に一大仏教圏があったようです。ここの収蔵庫には当時の仏像90体などが納められています。 |
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<<参考1>> |
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映像は,びわ湖放送
「滋賀創世“SOSE編集部」
から引用(R01,7,5放送)
(a)高月観音堂の十一面千手観音立像
(b)冷水寺の十一面観音坐像
(c)西野薬師堂の十一面観音立像と薬師如来座立像
(d)正妙寺の十一面千手観音立像
について紹介しています。 |
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<<参考2>> |
平成18年11月に訪れた木之本町の医王寺の十一面観音です。
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医王寺: |
ここも無住で村人が扉を開けてくれました。 |
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医王寺(手前)と観音堂 |
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医王寺観音堂 |
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十一面観音 |
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(平安時代作,桧の一木造) |
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明治の中頃,当時の住職が長浜の古物屋でこの仏像を見つけ,ここまで背負ってきたのだそうです。 |
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<<参考3>>
平成19年1月に訪れた大津市坂本にある盛安寺の十一面観音です。
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以前は手前の観音堂におられましたが,現在は後方の収蔵庫におられます。 |
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桧の一木造りで,像高179cmです。
製作年代は平安初期,十一面四臂という形式です。
地蔵さんとの合体思想で,お顔は丸く,杖を持っています。 |
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この十一面観音は,その昔天智天皇が造営した大津宮の時代に,比叡山南方の山中にあった崇福寺(すうふくじ)におられました。(崇福寺は「枕草子」でも記述されているお寺で,現在の様子(崇福寺跡)は,こちらです。)
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<参考文献> |
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1. |
「近江観音の道」 編集・発行:」近江文化を育てる会,1999,12,20,サンライズ出版刊 |
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2. |
「観音めぐり」パンフレット |
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3. |
「奧琵琶湖 観音路」パンフレット |
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4. |
「星と祭」井上靖著,1981,3,10,角川書店刊 |
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