明智光秀, 淡海温故録, 江侍聞伝録,菊御膳
 

明智光秀出自の謎

(1)NHKの大河ドラマ(麒麟が来る)で脚光を浴びている明智光秀の出自について,これまではっきりとは分かっていなかったようですが,実は近江(滋賀県多賀町佐目地区)出身と書かれた古文書が最近あいついで見つかり,その1つが菩提寺の西教寺で展示されているというので,見てきました(2020年6月11日)。

 西教寺は桜や紅葉が綺麗で,過去にも訪れたことがある所です。今回の書物は,県立琵琶湖文化館所蔵の「淡海温故録」という江戸時代前期の書物で,確かに近江出身と書かれていました。
境内には明智一族や正室煕子の墓,「宗祖大師殿]という建物の入口である「唐門」などがありました(唐門には,ドラマに出てくる「麒麟」の像が彫られていました)。

(2)出自について書かれた書物が,本年(2020年)1月にもう一つ発見されています。県立図書館所蔵の「江侍聞伝録(こうじもんでんろく)ですが,この内容は2020年5月11にTV放映されています (所ジャパン 「明智光秀はどこの生まれ?」)。
ほぼ,同様の内容でしたが,光秀は近江の生まれと明確に書かれていました。

(注)本能寺の変:天正10(1582)年6月2日(旧暦,新暦では21日)。光秀は,その4日後6月6日(旧暦)に自ら書状を持って多賀大社を訪れたようです(自筆書状(禁制(きんぜい))がTVで放映されました)。

(3)西教寺例年秋に菊御膳が提供されているので,行ってきました(2020年11月29日)

 西教寺境内の様子    
(1) (2020年6月11日)
     
西教寺  の門は明智光秀が阪本城門を移築したと伝えられているもので,
昭和59年に修理されていますが,形はそのままとのことです。)

 
門を入ると真っすぐの境内 (秋の紅葉の画像を下に示しています。) 

 
     明智一族の墓
(先日6月14日に法要が行われたようです。) 
 
       
     煕子の墓
(「天正四(1576)年11月7日寂」と説明があります。)
      芭蕉が詠んだ俳句
 月さびよ,明智が妻の噺 (はなし)せむ
(光秀が妻の真心にうたれ発起し,戦国大名になったように,内助の功(※)はいつかむくわれる,という話をしましょう)
煕子が,自分の黒髪を売って光秀をささえたという話)
芭蕉が伊勢の参詣中,世話になった知り合い夫婦に感じ入って詠んだ俳句だそうです。

 東側(琵琶湖側)を向いて立つ“唐門
門の中に見えるのは,宗祖大師殿という建物

 唐門の欄干に麒麟が彫られています。
 (NHKの大河ドラマ “麒麟が来る”)
    唐門から見た景色
琵琶湖の対岸と近江富士が望めます。

       西教寺本堂
聖徳太子創建と伝わり,全国に約四百余りの末寺を有する天台真盛宗の総本山です。
内部は広く立派で,大きな阿弥陀如来座像と,有名な“手白猿の像”や聖徳太子の像がありました。参拝者は私だけで,静かな空間に鉦(かね)の音だけが響いていました。
 
 
 
 手白猿の像
 

   
  淡海をあるく(びわこ放送)
(2020,06,29放送)から引用

   
 
     

(2) (2020年11月29日)     
  西教寺で菊御膳を提供されているので,行ってきました。    
     
参道           
        
全10品の菊御膳     鐘楼。   
        
お品書き。右側にあるのは本物の菊の花です。この黄色い部分をいただきます。
形がラッパ状になっているため,食べるとシャキシャキします。 
  
 
 

  光秀の出自が記された淡海温故録の様子    
 
 




 淡海温故録 展示の様子              (表示されていたポスターからの一部引用)
淡海温故録は,1684〜1688年(江戸時代前期)に成立し,彦根藩井伊家にも献上された近江の地誌とのこと本能寺の変からほぼ100年後の記述なので,信憑性に高い?   関係部分の拡大 
   明智十左右衛門が近江国左目(現在の滋賀県多賀町佐目)に居住していた。
明智は本国美濃の者で土岐成頼に属していたが,成頼に背いて浪人となって,近江国に来て,六角高頼を頼った。
高頼は,明智が土岐の庶流であることから,扶助米を与えて,左目に住まわせた。
後に2〜3代を経て (生まれた(注))
明智十兵衛光秀は器量があり越前に行って,朝倉家に仕えようとした。

(注)正確には,原本では「息子」とあるものの【生まれた】とは書かれていません。
 
     
   

江侍聞伝録(こうじもんでんろく)
 明智光秀の出自に関するもう一つの文献が明らかになりました。これが滋賀県立図書館所蔵の「
江侍聞伝録」で,TV放映されました。歴史家の磯田道史さんが解説しています。これによると,淡海温故録では言及の無い出生地について,(光秀は)江州が生国の故,生まれた】)とはっきり書かれています。

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  所ジャパン: 明智光秀はどこの生まれ?
(関西テレビ,2020,5,11)
から引用
 
   
       
   

  江侍聞伝録や以下の動画に触発されて,令和2年10月20日,多賀町佐目まで行ってきました。 佐目地区は,多賀大社近辺から306号線で三重県方面に2〜30分(?)でした (集落に入っても場所が分からず,歩いている人に尋ねて,やっと分かりました(^^;;) 。
ずいぶん山深い所でしたが,十兵衛屋敷跡や十二相神社などを実際に見て,またお二人(澤田さん,見津
(けんつ)さん)に詳しく解説していただいたことで,確かにここが光秀ゆかりの地かもしれない,と思いました。 
 
  <参考>       
    金曜オモロしが
びわ湖放送(2000年9月25日)

から引用

   

    
     
  休憩所    淡海温故録の表示    同左 拡大 
 
 
 
 
   
       
  十二相神社    同左     この地に屋敷があった? 
     
 
   
           
      見津さんから話を聞きました。     

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