明智光秀出自の謎

(1)NHKの大河ドラマ(麒麟が来る)で脚光を浴びている明智光秀の出自について,これまではっきりとは分かっていなかったようですが,実は近江(滋賀県多賀町佐目地区)出身と書かれた古文書が最近あいついで見つかり,その1つが菩提寺の西教寺で展示されているというので見てきました。

 西教寺は桜や紅葉が綺麗で,過去にも訪れたことがある所です。今回の書物は,県立琵琶湖文化館所蔵の「淡海温故録」という江戸時代前期の書物で,確かに近江出身と書かれていました。
境内には明智一族や正室煕子の墓,「宗祖大師殿]という建物の入口である「唐門」などがありました(唐門には,ドラマに出てくる「麒麟」の像が彫られていました)。

(2)出自について書かれた書物が,本年1月にもう一つ発見されています。県立図書館所蔵の「江侍(こうじ)聞伝録」ですが,これは5月11にTV放映されました(所ジャパン 「明智光秀はどこの生まれ?」)。やはり同様の内容でした。

※本能寺の変:天正10(1582)年6月2日(旧暦,新暦では21日)...
光秀は,その4日後6月6日(旧暦)に自ら書状を持って多賀大社を訪れています(自筆書状がTVで放映されました)。



 
     
西教寺  の門は明智光秀が阪本城門を移築したと伝えられているもので,
昭和59年に修理されていますが,形はそのままとのことです。)

 
境内 (秋には鮮やかな紅葉が見られます) 


 
                      <関係部分の拡大>
 <文献の展示の様子>
 
 淡海温故録    関係部分拡大
    上画像2枚は,書物の関係部分および表示されていたポスターからの一部引用) 
淡海温故録は,1684〜1688年(江戸時代前期)に成立し,彦根藩井伊家にも献上された近江の地誌とのこと
   明智十左右衛門が近江国左目(現在の滋賀県多賀町佐目)に居住していた。

明智は本国美濃の者で土岐成頼に属していたが,成頼に背いて浪人となって,近江国に来て,六角高頼を頼った。

高頼は,明智が土岐の庶流であることから,扶助米を与えて,左目に住まわせた。

後に2〜3代を経て生まれた
明智十兵衛光秀は器量があり越前に行って,朝倉家に仕えようとした。
 
  

 
明智一族の墓
(先日6月14日に法要が行われたようです) 
 
       
   煕子の墓
(天正四(1576)年11月7日寂と説明があります)
  芭蕉が詠んだ俳句
 月さびよ,明智が妻の噺 (はなし)せむ
(光秀が妻の真心にうたれ発起し,戦国大名になったように,内助の功(※)はいつかむくわれる,という話をしましょう)
煕子が,自分の黒髪を売って光秀をささえたという話)
芭蕉が伊勢の参詣中,世話になった知り合い夫婦に感じ入って詠んだ俳句だそうです。

東側(琵琶湖側)を向いて立つ“唐門
門の中に見えるのは,宗祖大師殿という建物

唐門の欄干に麒麟が彫られています。(NHKの大河ドラマ“麒麟が来る”) 唐門から見た景色
琵琶湖の対岸と近江富士が望めます

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西教寺本堂
聖徳太子創建と伝わり,全国に約四百余りの末寺を有する天台真盛宗の総本山です。
内部は広く立派で,大きな阿弥陀如来座像と,有名な“(真盛上人身代わりの)手白猿”の像がありました。参拝者は私だけで,静かな空間に鉦(かね)の音だけが響いていました。
 
  
 
     
  淡海をあるく(びわこ放送)
(2020,06,29放送)から引用

  
   
 

   明智光秀の出自に関するもう一つの文献が明らかになりました。
これは,滋賀県立図書館所蔵の「江侍(こうじ)聞伝録」で,TV放映されました。

やはり同様の内容でした。


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   所ジャパン:
明智光秀はどこの生まれ?
(関西テレビ)(2020,5,11)
から引用

 

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