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枕草子(131段) |
同左(口語訳) |
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頭の弁の,職(しき)に参り給ひて物語などし給ひしに,夜いたう更けぬ。「明日,御物忌みなるに,籠もるべければ,丑になりなばあしかりなむ。」とて,参り給ひぬ。 |
『頭の弁藤原行成様が中宮様のところにいらして,お話などなさるうちに夜もたいそう更けてしまった。「明日は御物忌みで宮中に詰めなければなりませんので,丑の刻(=午前2時)になったら具合が悪いでしょう」と参内なさった。 |
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早朝(つとめて),蔵人所の紙屋紙(こうやがみ)引き重ねて,「今日は,残り多かる心地なむする。夜を通して昔物語も聞こえ明かさむとせしを,鶏の声に催されてなむ」と書き給える,いとめでたし。 |
翌朝,蔵人所の紙屋紙(=宮中で作られる紙)を重ねて,「今日はとても残り惜しい気持ちがします。夜通し昔話でもして夜を明かそうとしたのに,ニワトリの越えに急き立てられて」と,たくさんことばを尽くしてお書きになっている,その筆跡が実に見事だ。 |
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御返りに,「いと夜深く侍りける鶏の声は,孟嘗君(もうしょうくん)のにや」と聞こえたれば, |
お返事に,「まだたいそう暗いうちから鳴いたニワトリの声は,あの「史記」にある孟嘗君のニワトリの鳴き真似でしょうか(にせの声で関守をだましてお帰りになったのですね)」と申し上げると, |
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立ち返り,「孟嘗君の鶏は,函谷関(かんこくかん)を開きて,三千の各わずかに去れり,とあれども,これは,逢坂の関なり」とあれば, |
折り返し,「孟嘗君のニワトリは,鳴き真似で函谷関を開かせ,三千人の食客と危うく逃れ去ったとあるが,私が言うのは逢坂の関(あなたと逢うという関)ですよ」とあるので, |
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「夜をこめて 鶏(とり)の虚音(そらね)は はかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 心かしこき関守侍り」と聞こゆ。 |
「夜の深いうちにニワトリのうそ鳴きを仕掛けても。決して逢坂の関は許しませんよ(お逢いなんかしませんよ)。賢い番人がおりますから」と申し上げる。 |
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また,立ち返り, |
また,折り返し, |
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「逢坂は人越え易き関なれば鶏鳴かぬにも開けて待つとか」 |
「逢坂の関は越えやすい関なので,ニワトリが鳴かなくても開けて待つとか」 |
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とありし文どもを,初めのは,僧都の君,いみじう額(ぬか)をさへつきて取り給ひてき。 |
とあった。これら見事な筆跡の手紙を,初めのは僧都の君(隆円,中宮の弟)がどうしても欲しいと,三拝九拝して取ってしまわれた。 |
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後々のは,御前に。 |
後の方のは,中宮様に。』 |