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坂を下ってきて,札の辻交差点(7)に至ります。右折すれば東海道,左折すれば北国海道(西近江路)です。「札の辻」は,江戸時代に江戸幕府の高札がここに掲げられていたことから起こった地名で,西南角には,旅人に人足や馬を提供する人馬会所も置かれており,大津町随一の賑わいであったようです。 |
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札の辻を過ぎて,旧東海道側を見たところ(京町通り)です。狭いですが,まっすぐな道が続いています。(昔は,現在の道幅よりさらに2m(片側1mずつ)狭かったようです。)
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当時の町屋の様子を伝えています。表に,文化庁認定の「登録有形文化財(第25−0185号)」である旨の看板が掛けられています。
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(注)江戸時代に宿場町,港町として栄えた大津町人の手により,13基の曳山が巡行する大津祭りが始められました。中には,ベルギー製の垂れ幕のかかったものもあり,当時の繁栄ぶりがうかがえます。 |
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「此の付近,露国皇太子遭難地」の碑(8)です。
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明治24年(1891),この地を訪れたロシアのニコライ皇太子に,警備中の巡査がサーベルで切りつけた「大津事件」の発端となった場所です。当時ロシアは強大国で,日本は近代国家として発足したばかりで弱小国のため,国民を不安のどん底におとしいれました。 大国ロシアを恐れた松方内閣は,皇室に対する大逆罪を適用し死刑を画策。しかし,大津地裁で開かれた大審院法廷ではこれに屈せず謀殺未遂罪を適用し,無期徒刑の判決を下し「司法権の独立」を貫き通したということです。 |
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<平野神社>(9) :平野神社は,道と蹴鞠(けまり)の神社です。 |
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平野神社は道と蹴鞠の神社です。祭神は,大鷦○皇命(おおきぎスメラミコト;第16代仁徳天皇)と猿田彦命です。この神社は,前者を天智天皇の大津宮への遷都に伴う守護神として藤原鎌足により創建され(668年),また後者は,「道」びきの神・蹴鞠の神として天正元年,この平野神社に合祀されたようです。8月9日の祭りでは,本殿前広場において,烏帽子・水干・鞠袴・鞠沓を着用した競技者が輪になって「アリ,ヤウ,オウ」という三声の独特のかけ声で鹿皮製の鞠を蹴りあう「蹴鞠奉納」が行われます。
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