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(a)オランダ堰堤
オランダ堰堤は,明治時代にオランダ人デレーケの指導のもとで築造された切石積みアーチ式堰堤です。
そもそもこの地域では,奈良時代頃から継続的に奈良の宮殿や社寺の建設資材として木が伐採され,江戸時代にはほぼ禿げ山状態になり,河川の氾濫や土砂の流出などの災害が多発していました。その対策として堰堤が築かれました。
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(b)さかさ観音
さかさ観音はオランダ堰堤の上流にあり,金勝寺への参道の途中にありました。
鎌倉時代作で阿弥陀三尊石仏が彫刻されていますが,堰堤築造寺に山上からずり落ちてさかさになってしまったようです。 |
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(c)狛坂磨崖仏(狛坂寺跡磨崖仏)
狛坂磨崖仏は急な坂道の途中にあり,高さ6m・幅5mの1枚岩(花崗岩)に,高さ3mの仏が彫られています。奈良時代後期作で,製作は渡来系工人によると考えられています。ここには,かって狛坂寺というお寺もあったことが判明しており,そのお堂の中に入っていた可能性もあるようです。
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白州正子さんは,著書「かくれ里」で以下のように記述しています。
『磨崖仏は聞きしに優る傑作であった。見上げるほど大きく,美しい味の花崗岩に三尊仏が彫ってあり,小さな仏像の群れがそれを取り巻いている。奈良時代か平安初期か知らないが,こんなに迫力のある石仏は見たことがない。人里離れたしじまの中に,山全体を台座とし,その上にどっしり居座った感じである。(略)そこからまた少し登ると,「国見岳」という見晴らしのいい場所があり,大きな白い岩がかたまっているのは,古代の祭祀場の名残りであろうか。(略)ほんとうに淡海は広い。底知れぬ秘密にうもれている。大陸と日本が出会う接点として,また奈良や京都の舞台裏として,近江は私にとって,尽きせぬ興味の宝庫である。』 |
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(d)金勝寺とぐんだり明王
金勝寺は奈良平城京の東北鬼門を守るお寺として建てられたものですが,火災で焼失。江戸時代に再建許可を得たものの,現在もその時の仮の堂のままをとどめています。また,ぐんだり明王 像は高さ4mあり,檜の一材から掘り出されたものです。
白州正子さんは, 金勝寺について,「かくれ里」で次のように記しています。
『やがて,頂上に着く。杉の大木に囲まれた寺は森閑として,ハイカーの焚き火の跡だけがさむざむと残っている。朽ちかかった本堂の中には釈迦如来が端座し,横手のお堂には巨大な「ぐんだり明王」が腕を組み物凄い形相で見下ろしている。4メートルもある一木造りの彫像で,昔はたくさんあった堂塔の中にこのような群像が並んでいたのであろう。金勝寺は奈良の都の鎮護の寺であったというから,このような仏像を置いたのだろうが,ただ一つ残る明王だけ見ても当時の壮観がしのばれる。西側は,見渡すかぎりの深い山や谷で,近江にもこんな秘境があったのかと驚く。』 |
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