直線上に配置

丹生の茶碗祭り
(琵琶湖の周辺(71)) 
(平成26年5月4日撮影) <音声あり>

滋賀県の最北端にある長浜市余呉町上丹生地区で,5月4日,5年ぶりに開催された丹生神社茶碗祭りを見てきました。

丹生津姫命を祭神とする丹生神社の歴史は古く,今年は1,300年祭とのことです。
また,茶碗祭りは,近江の奇祭とも言われている由緒ある祭りです。
昭和36年に滋賀県選択無形民族文化財,昭和60年に滋賀県指定無形民族文化財に指定されています。


 

余呉町(上丹生)の風景
 余呉町の北部は福井県と接し,県内では積雪量の最も多い地域です。
南部には余呉湖や合戦で有名な賤ヶ岳などがあり,東部は木之本町(オコナイで訪れた杉野地区)に接しています。
また地域を流れる丹生川(高取川)の下流には,医王寺などの
観音の里があります。

<参考>最近(平成26年),丹生川(高取川)の上流で,建設予定であった丹生ダムが建設中止となりましたが,その地域で幹回りが3mを超えるトチノキ(栃の木)が200本以上群生しており,西日本最大級規模の自生林が確認されました。そのうち最大のものは幹周りが8.11mもあり,県内最大の木とのことです。

 写真は上丹生上丹生神社の様子です。
         
   上丹生地区   同左     丹生川(高取川)にかかる橋
前方に
上丹生神社があります。
   
               
   上丹生神社参道    上丹生神社鳥居    上丹生神社
今年1,300年祭だそうです。
   

丹生と丹生神社」について:
丹生」という地名は,古代に珍重された赤色鉱物辰砂,丹砂,主成分:硫化水銀(HgS))が取れた所を意味しています。
辰砂は粉砕して粉状の
赤色顔料にされたり,加熱して得た水銀に金を作用させてアマルガムとし,大仏への金メッキに利用されました。

またこれは,ガス状の水銀が地殻から岩石の割れ目伝いに吹き上がってくる際,土壌中の硫黄分と化合してできたもので,
特に九州から四国,紀伊半島,長野県に至る「中央構造線」に近い地域に多く分布していることが知られています(下図参照)。
その地域周辺に丹生と丹生神社は多く存在していて, これらには丹生氏が関係があるとされています。
すなわち,丹生氏が水銀鉱脈の発掘や辰砂・水銀の生産に携わり,丹生神社を祀ったのです。

(注)平安時代の『延喜式』という書物には,近江に2箇所の丹生((a)伊香郡余吾村上丹生/下丹生;(b)坂田郡米原町上丹生/下丹生)および丹生神社のあることが示されており,それらの地名は現在も残っています。

 
 
 
     
   丹生の名を今も残している土地,丹生神社と中央構造線1)    

茶碗祭りとは:
  800年前以上前(平安〜足利時代)に,上丹生にいた人々が神から陶器を作る技術を授けられ,その報恩のため始めたのが起源とされています。昔は3年毎4月3日に男性のみで行われていたようですが,最近は人口減と少子高齢化で規定人員が集まらなかったり,費用もかかることから開催が困難となっていました。 今年は参加者を地区外の町中から募集し,女性や学生も入れてようやく5月4日に5年目の開催にこぎつけたそうです。

 この祭りは,上丹生神社から約1km離れた八幡神社まで神輿(みこし)と3基の山車が曳かれますが,その山車の飾りに特徴があり,近江の奇祭のひとつと言われています。
 その飾りは,茶碗や壷,皿などの陶器を積み重ね,先端には歌舞伎や民話の場面を表現した人形が取り付けられたもので,高さ約5m(全体では約10m),重さは60〜70kgもあります。また,用いられる茶碗の数は約1,000個にもなり,それらのつなぎには,しっくいが使われます。
この飾りには,山車の移動中は,2本の「さす」と呼ばれる竹製の支えがありますが,八幡神社での祭りの最終場面ではそれも取り払われ,飾り全体がしなりながらも倒れないところが祭りのクライマックスとなっています。

この飾りの製作方法は秘伝とされ(世話役,氏子なども立入禁止),関係者だけに口伝されています。製作には2ヶ月近くかかり,製作物のチラシは秘密のため,祭り当日の朝になって配られます。念のため,山車を引いていた若い人に製作方法を尋ねましたが,わからないということでした。
(これはおそらく,(部分的に曲がった部分もある)1本の直立した鉄製の棒の端部が土台に取り付けられており,その棒に,穴を開けた茶碗や壷などの陶器および上下2体の人形を通して固定したものと思われます。しかし,それら全体のバランスを取るのは非常に難しそうです。)

 
 


茶碗祭りの様子1:上丹生神社と八幡神社の中間にある広場前に3台の山車が集合。ちょうどお昼時でした。
 3基の山車は,永宝山(中村組),寿宝山(橋本組),丹宝山(北村組)です。


茶碗祭りの様子2:

 
  祭りの列は,神輿を先頭に,長刀ふり-ホラ貝-大鉾-小鉾-神主
花奴-笛-12の役-舞の稚児-山車と続きます。
  
  垂幕は足利時代の
ものだそうです。
 
       
     花奴には男女の高校生が扮しています。 昔は祭りの参加が男子だけで,皆女装していたようです。  

         
  神輿を担ぐのは,この地区
出身の25〜35歳の長男
だそうです。
 
   女児や男児の演技が
披露されました。

  前・現県知事や議員も
来訪されていました。 
   
             
  出し物は(a)<永宝山>牛若丸と弁慶,(b)<丹宝山>怪談・鍋島藩
化け猫騒動,(c)<寿宝山>怪談・番町皿屋敷 でした。
 
  左の写真の一部拡大
(下の動画参照) 
   

 
茶碗祭りの動画:   <再生ボタンを押してください> (寿宝山)
橋本組
(丹宝山)
北村組
 (永宝山)
中村組
 
       

<参考文献>
1 「丹生神社と丹生氏の研究−伊都国王の盛衰と丹生氏の出自についての一考察−」 :
 丹生廣良著,きのくに古代史研究会,1977,12,20発行
      2 びわ湖放送開局40周年特別企画DVD:「近江風土記」
      3 パンフレット:「余呉町交流促進センター 茶碗祭りの館」(1998,4,11発行)
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