ずいき祭り
御上神社
近江富士
琵琶湖の周辺(48)
<音声あり>
(平成19年10月8日撮影)

御上神社のずいき祭り  10月8日に,御上(みかみ)神社の「ずいき祭り」がありました。
(注.「ずいき」とは,サトイモの茎の部分のことです。)
御上神社は滋賀県野洲市にあり,三上山を御神体とし,天之御影神(あめのみかげのかみ)を御祭神とする神社です。
三上山は別名,「近江富士」とも呼ばれます。)

古事記の「開化天皇」の段に,近つ淡海御上祝(はふり)が もちいつく天之御影神と記述されており,また,三上山のふもとでは,24個の銅鐸(うち1個は,日本最大の銅鐸)が見つかっていることなどから,かってはこの地域に相当大きな力のある集団がいたものと推定されます。
「ずいき祭り」については,記録によると少なくとも460年前から行われており,現在は国指定の重要民族文化財になっています。

三上山と御上神社 三上山は標高432mで,その外観から「近江富士」と呼ばれ,俵俵太のムカデ伝説で知られます。     
また御上神社は,国道8号線(旧中山道)を挟んで三上山の西隣に静かにたたずんでいます。
琵琶湖畔から見た三上山
と小麦畑
三上山(近江富士)
(右下のこんもりした森の部分
に,御上神社があります)
三上山と御上神社の鳥居
(神社の前には国道8号線
が通っています)
御上神社の鳥居
御上神社の桜門
鎌倉時代の建立で,
重要文化財に指定)
桜門を守る神様(?)
拝殿(左)と本殿(右)
(拝殿および本殿の建立は,
それぞれ平安時代,鎌倉時代です。)

本殿
(本殿は国宝になっています。)
保管されている昔のみこし
(3台の神輿は鳳輦神輿(ほうれんみこし
というそうです。
宝徳2年(1450年)のもの。)

ずいき祭り<昼の神事>
午前10時過ぎ,「ずいき」で飾られた5基のみこしが到着し拝殿に並べられ,その前で雅楽と共に神事が執り行われました。
祭り当日の桜門
(大きな「ずいき」が供えられています。)

ずいきの拡大
(ずいきは,サトイモの茎です。)
拝殿に並べられた5基のずいき
(みこしと氏子の方々)
並んだずいきみこし ずいきみこしの拡大 ずいきみこしの前の飾り

<再生ボタンを押してください>

ずいき祭り<夜の神事>
提灯だけのうす暗いの明かりの中,拝殿で夜の神事が行われました。ハイライトは,天狗の面をかぶった猿田彦が木鉾を持って登場する所です。足を後ろに蹴り上げながら座を3周し,氏子の前では木鉾を突きだすしぐさをします。 これは,昔の神事芸能の流れをくむものだとか。
(なお,このしぐさから,猿田彦道案内の神としてだけでなく,男女の縁結びの神としての顔もあるようです。)

それが終わると,まわしをつけた子供達4組が登場し,相撲神事として奉納されました。(ただし,取り組みはせず,互いの挨拶と腕を組み合わせるだけでした。)


<<参考:以下の各写真は,実際より明るくしています。実際は,お互いの顔が見えない程に,暗い状態で神事が執り行われます。>>

宮司と氏子の方達が揃いました。 ⇒まず挨拶から。 ⇒酒をついでいます。
⇒猿田彦の登場
(氏子に対し,長い木鉾をつきだしています。)
⇒猿田彦は座を回りながら,
足を後ろに蹴り上げています。

⇒天狗のお面をかぶった猿田彦
<再生ボタンを押してください>
実際は,このように真っ暗な闇の中で行われます。

(子供相撲の奉納)
(4組の一つ)
(子供相撲の奉納)
(4組の一つ)

⇒一連の神事が無事終わりました。

境内で売られていた(たで)寿司
(たで)寿司は,ジャコを混ぜた上に蓼(タデ)の粉を振りかけてある寿司のことです。
蓼の粉は,土用の頃,野洲川に自生している蓼,あるいは近頃では栽培した蓼の葉を
乾燥させて作ったものだそうです。蓼の葉は非常に辛く,古来から薬草として,また
香辛料として使われてきたようです。(実際の味は,それほど辛いとは思いませんでした。)

(参考)蓼を使った寿司の例:ドジョウ寿司

(参考文献)
1 「三上のずいき祭り」,ずいき祭り保存会発行,2001,3,31 発行
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